[第3回] ひとつの到達目標と危険性 – 連載 ”Mindfulness”

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近年、マインドフルネスとか瞑想という話題が、マスメディアなどで取り上げられるようになっています。

世界的企業であるGoogle、Yahoo、Appleなどでも、社員の福利厚生の一環としてマインドフルネスや瞑想を取り入れられています。そしてそれによって、生産性が上がったとか、社員の医療費が削減できたという報告があり、最近日本でも脚光を浴びはじめました。資本主義経済下で、世界的な経済競争により人々に余裕がなくなっていく中で、自分を取り戻す方法としてとらえられているようです。

医学的な観点からも研究がすすめられ、人の心や体のさまざまな不調に効果があることが確かめられつつあるようです。当総合診療科でも、患者さんにマインドフルネスを紹介し、実践していただくことで、効果が出たのではないかと考えられるケースが少しずつ出ています。

そこで、マインドフルネスについて勉強中の筆者が学んだ概要を、何回かに分けて、ご紹介したいと思います。

ひとつの到達目標

マインドフルネス瞑想は、それを極めることを考えると、大変奥深いもののようです。とはいえ、慢性的な痛みやさまざまな症状を抱えている患者さんにお話しできる、ひとつの到達目標があります。

それは、たった今に気持ちを集中することで、不安や痛みなどから距離をおき、自分の心の動きを客観視できるようになることです。

人見ルミ著「心を整えるマインドフルネスCDブック」(あさ出版、2016/4/15) にわかりやすい図がありましたので、紹介させていただきます。

つらい、苦しい、悲しい、怒れるといった感情は人なら誰にでもある感情です。しかししばしばその感情の流れにそのまま乗って流されていることがあります。するとこの流れの先が見えず、もしかすると滝に落ちてしまうかもしれず、それだけで不安になります。その不安感がまた苦しい、悲しいといった感情を強くしてしまうようです。

そこで、感情に流されているタライから降りて、岸に上がってこの感情の流れから少し離れてみてみます。感情がなくなるわけではありません。しかし、自分の感情がこんな風に流れているのだと見るだけなら、この先が見通せず、滝に落ちているかもしれないことにも不安を感じずに済みます。

このように、自分の感情を、ただあるがままに見て観察できるようになることが、ひとつの到達目標だと思います。

マインドフルネスの奥行は、もっともっと深そうですが、自分を観察できる感覚を少し体験できると、それだけで、今まで頭の中を一杯にしていた痛み、怒り、不安といった感情が少しずつ違ったものに見えてくるようです。

マインドフルネス呼吸法を練習するうちに、「痛みがなくなったわけではないけれど、痛みが気にならなくなった」と言ってくださった患者さんもいらっしゃいます。

瞑想の危険性

マインドフルネスも含めて、瞑想は特に何かの薬物や器具を使うものではないので、副作用や危険性は無さそうです。しかし一応注意は必要とのことです。

PTSD(外傷後ストレス障害)やパニック障害の患者さんが瞑想によってフラッシュバックを起こしたり、解離性障害やうつ病その他の精神的な疾患・障害の方が離人症(解離性障害)を起こしたりすることがあるとのこと。禅では、昔から禅の瞑想中に幻聴、幻覚や吐き気、頭痛など体に異変を生じることがありうることが知られていて、これを「禅病」と言っているそうです。

特に長時間の瞑想にチャレンジする場合には、できれば医師あるいは経験豊かな指導者の元で実践するのが良いと思われます。

( 第4回「マインドフルネスの方法 (1)」に続く )

文責:嶋 芳成